高齢者福祉 My Favorite Things☆ 【平穏死のすすめ】

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【平穏死のすすめ】

「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

自分の死は、自分で選ぶもの。当然の権利である。
医療が発達した現在、本人が望まないで、生かされている現状がある。問題にもなっているが、胃樓と経管栄養だ。この本は、石飛医師の経験と現場の声、家族の声が沢山載っている。
先ず、いわゆる、『老衰』と診断されて亡くなる方の少なさの現状には愕然とした。何らかの病名をつけないと、人は亡くなることが出来なくなっている。

この本の中でのエピソードとして繰り返し出てくるのは、「三宅島」の話だ。
“年寄りは、食べられなくなったら水を与えるだけだと、静かに息を引き取る”。
ひと昔は、ごくごく当たり前のことだったのだろうが、現在はそれすら出来なくなり、病院で死を迎える人の数が多い。私の伯母もそうだった。且つ、胃樓もしていた。
伯母は、幸いに認知はなく、胃楼は本人が望んだことであったのだが、最初のうちは意思疎通もでき、私が介護職に就いて自分が介護されることを喜んでいたのに、
機能低下に伴い意思疎通も儘ならなくなり、亡くなった。病院には、大変お世話になったとは思う。
だけれども、第三者であるが、果たしてこれが良かったのだろうか、と疑問を抱いた。


医療現場と現状の矛盾。
<本人が本人らしく生き、本人が本人らしく死ぬこと>
ADL(日常生活動作)の低下に加え、IADL(手段的日常生活動作)の低下、そして認知症状が出ようとも、感情は絶対残っている。
認知症のお年寄りと関わっていて、必ず感じることの一つは「感情は最後まで残る」ということ。今まで生きてきた経験・過去はその人にとって、かけがえのないものだ。それを大切にすることが、介護職としての大事な役割の一つだと、常々思っている。介護は技術も必要だが、本人・周囲の精神的なケアをすることの方が重要である、と私は考えている。
実は、これが一番難しいことだったりするのだけれども。。。
(※ADLとは、日常生活を営む上で、普通におこなっている行為、行動。具体的には、食事や排泄、整容、移動、入浴等の基本的な行動。)
(※IADLとは、日常生活を送る上で必要な動作の中での、買い物や洗濯、掃除等の家事全般や、金銭管理や服薬管理、外出等。)


「看取り」をする現状は、在宅では厳しいと言わざるおえない。
畳の上で死にたいと思っていても、それが出来ない現状なのだからこそ、現在はそれに代わる施設が出来ている。
しかし、その施設ですら望まないで生かされている手伝いをしている場合もある…。
介護職に着いた現在でも、医療と介護の連携の難しさ(制度・現場問題)には、頭を悩ませることも多い。
医師・看護職が言うこと。介護職としてしたいこと。その差を埋めることは大変だ。石飛医師のいらっしゃる特養での取り組みには、頭が下がる。
みんなが同じ目標を持って取り組むことの大切さ。意識改革は、ちょっとしたことで出来るのだ。
だからこそ、このように様々な機関との連携が大切であり、これからも真剣に皆が考える必要があると思う。


自然の摂理に背かず、『平穏死』を迎えたいと切実に思った。また、それをお手伝いできる自分でありたいとも。

コメント

現場で

現場で肌で色々感じることを、また色々聞かせてくださいね。
文字や映像だけではなくて、そこにいるから、そこで接しているからこそ感じること・・それは大きいものだと思うから。私は、数年前からホスピスなどのことを、ちよっと自分なりにみたり聞いたりetc。病院のこともね・・・心を支えてくれる医療現場とかさ・・まだ読んだり、聞いたりですけどね。歳を重ねると、この先のこと考えますよ、やっぱり。

生の声が沢山届くように…

>Uさん
理論武装するのもアリですが、やはり現場に出ると、自分で体験したことが一番、そう考えるようになりました。
本当に様々なケースがあります。
ちょっとずつでも、書こうかと思っていますよ。

Uさんは、いつもアクションを起こしているところ、私が尊敬する部分であります^^この先、どうなるかわからないですけれども、美輪さんじゃないですが、「心の時代」に来ているのは間違いないですよね。

はじめまして

初めてコメントいたします。平穏死について読ませて頂きました。私も介護施設に勤めていて、胃褸のお年寄りを見ています。ご本人の意思と関係なく、生かされている現状を私も痛感しています。
しかし、ある利用者さんのご家族のことで衝撃を受けています。
そのご家族は胃褸で栄養食を流すことを拒否していて、現在、水だけを流しています。最初は自然のまま逝かせて欲しいという希望だと思っていましたが、面会に来た娘さんの言葉は「お金がかかるから栄養食はいいです。元気な家族に食べさせる方が優先ですから」と言ったものでした。
確かにその利用者さんは経口摂取は出来ませんが、わりと元気があり話もするし、顔を拭く時に「痛い」と言ったり「お父さんは迎えに来ないかね」と意思表示もします。なのに栄養食を断っても良いのか、これは殺人幇助ではないのか、と自問しております。
尊厳死と言う言葉がありますが、ご本人の生きる尊厳はあるのでしょうか。寿命は一体誰が決めるのでしょう。
長文ですみません。
私事で恐縮ですが皆さんはどうお考えになるかお聞きしたかったのです。

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